東京高等裁判所 昭和27年(ネ)157号 判決
控訴人ら代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は原審における請求の趣旨を拡張し、「控訴人らは連帯して被控訴人にたいし、金八十四万円及び内金六万円にたいする昭和二四年六月一日以降、内金六万円にたいする同年七月一日以降、内金六万円にたいする同年八月一日以降、内金六万円にたいする同年九月一日以降、内金六万円にたいする同年一〇月一日以降、内金六万円にたいする同年一一月一日以降、内金六万円にたいする同年一二月以降、内金六万円にたいする昭和二五年一月一日以降、内金六万円にたいする同年二月一日以降、内金六万円にたいする同年三月一日以降、内金六万円にたいする同年四月一日以降、内金六万円にたいする同年五月一日以降、内金六万円にたいする六月一日以降、内金六万円にたいする同年七月一日以降各完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払うべし」との判決を求め、控訴人らの控訴申立にたいし、控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用及び認否は、被控訴代理人において、「本件残代金八十四万円の月賦弁済金六万円宛の内、昭和二五年五月及び同年六月の各月末に支払うべきものについてはすでに弁済期到来したにかかわらず控訴人らはその支払を遅滞しているから右金六万円宛についてはそれぞれ弁済期の翌日たる昭和二五年六月一日及び同年七月一日以降各完済あるまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める」と述べ、立証として甲第四号証を提出し、当審証人上山顕の証言を援用し、控訴人ら代理人は相殺の抗弁はこれを撤回すると述べ、当審証人矢崎高、片岡正の各証言及び当審における控訴人田沢鐐二の証言を援用し、甲第四号証の成立を認めたほかすべて原判決事実らん記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
三、理 由
被控訴人が昭和二四年四月一日控訴人らにたいし、東京都世田ケ谷区上馬七七八番地所在、駒沢病院内の被控訴人所有の医療機械等を代金九十万円で売渡し、この代金を同年四月から毎月末日限り金六万円宛向う十五ケ月間に持参して支払を受けることを約したことは当事者間に争がない。
控訴人らは本件売買契約は被控訴人と控訴人ら間の駒沢病院に関する従来の関係を絶ち、名実ともに控訴人らの経営にすべく、一種の和解契約的な売買契約であつて、もし、控訴人らにおいて被控訴人が金百二万余円の剰余金を取得することが判明していれば、控訴人らはかかる契約を締結しなかつたものであつて、本件売買契約における控訴人らの意思表示は、法律行為の要素に錯誤があつたものであるから無効であると主張する。
成立に争のない甲第一号証(乙第四号証と同一の契約書)乙第一、二号証原審証人上山顕、荒山隆、竹村省一郎、原審及び当審証人矢崎高、当審証人片岡正の各証言、原審及び当審における控訴本人田沢鐐二の供述を綜合すると、本件売買契約成立以前被控訴人健康保険組合連合会が経営していた駒沢病院は控訴人財団法人平和協会の所有であるところ、かねて控訴人ら三名と被控訴人との間に、この病院を被控訴人の名をもつて厚生省に売却し、その代金中一割五分ないし二割、金額にして百五十万円前後を被控訴人が取得し、(もつともこの金額中には被控訴人所有の本件医療機械等の価額もふくまれている。)その他を控訴人らが取得する旨を契約していたところ、右売却が困難になつた関係上、被控訴人から控訴人らに本件医療機械類を売却し、これと同時に駒沢病院も控訴人らが経営することとなり、本件売買契約を締結するにいたつたものであること、この売買物件はもと控訴人福寿草株式会社所有であつたものを被控訴人が駒沢病院を経営するにつき買受けたものであつて、控訴人福寿草株式会社、財団法人平和協会の代理人兼控訴本人田沢鐐二は、本件契約締結の際この医療機械類の価格を約三十万円と主張したこと、これにたいし、被控訴人の方では駒沢病院の経営を廃止するにつき職員に退職金を支給しなければならない必要と、前記のように金百五十万円前後の収入を予定していた関係もあつて、この売却代金を金百二十万円と主張し、双方はげしく対立して譲らなかつたが、右契約に立会つた訴外矢崎高の斡旋により結局双方譲歩して代金を九十万円と定めたものであること、そして田沢がこのように代金を譲歩した理由は、控訴人らが支出すべき代金が安すぎては駒沢病院の職員の退職金の支給その他の収支決済に差支へることと思つたからであつて、田沢はその際被控訴人健康保険組合連合会常務理事上山顕及び病院事務長片岡正にたいし、病院の収支剰余金はいくらかと質問したところ、片岡正は約三十万円である旨答えたので、田沢はこのうち金十万円を控訴人側に譲渡を受けることとしたが、他は病院の残務整理費用に充て、本件代金は退職金の支払に充てられるものと考え、前記のとおり代金九十万円を承諾したものであることを認めるに十分である。
以上認定のとおりとすれば、本件売買契約をなした当事者は代金額を決定するにつき目的物件の実際上の価格はほとんど問題にせず、もつぱら駒沢病院の資産状態、すなわち病院の収支剰余金(現金及び他日収受されるべき診療報酬金等)の有無、多少を基礎として代金額を定めたものであり、右収支剰余金は約三十万円だとの認識にもとづいて金九十万円と定めたところ、当時被控訴人は、昭和二四年一、二、三月分の診療報酬として社会保険診療報酬基金から九十七万二千八百八十七円三十銭、同年三月分の生活保護診療費として東京都世田谷区役所から金四万五百四十二円七十銭、東京急行電鉄共済組合から金七千六百五十円五十五銭、以上合計金百二万一千八十円五十五銭の支払をうけ得る権利を有しており、その後これを受領したことは当事者間に争のないところである。しかし、田沢は本件契約当時被控訴人がこのような報酬金を受領することのできる関係にあることを知らなかつたことは前記のとおりであつて、もし、同人がこのことを当時知つていたとすれば、本件売買代金を九十万円に譲歩するようなことをしなかつたことは前記売買成立のいきさつからみて当然のところであつて、田沢は本件売買代金決定の基礎とした事情たる駒沢病院の剰余金額(現金及び後日収受すべき診療報酬金をもふくむ)の認識をあやまつていたために、売買代金を九十万円と定めることを承認したのである。この錯誤は本件売買における要素の錯誤と認めるのが相当であるから、本件契約における田沢の意思表示は法律行為の要素に錯誤があつて無効であるから本件売買は無効であるといわなければならない。したがつて、本件売買契約の有効なことを前提としてその代金の支払を求める被控訴人の本件請求の理由のないことはすでに明かであるから、他の争点に関する判断をはぶいて、これを棄却すべきものである。
よつてこれを認容した原判決を取消し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 藤江忠二郎 原宸 浅沼武)